こやなぎさやこってどんな人?こやなぎさやこの生い立ちを簡単にまとめてみました
1976年4月5日奈良県御所市に生まれる 1歳半の時両親が離婚、母子家庭となるが 男の子の様にたくましく育ちました
本が大好きで、幼稚園の頃から ダンスや歌が好きなかたわら 生と死について考えたりと 少しおませな子供でした
3分の2が帰国子女である同志社国際中学高等学校で過ごしました 様々な国からの帰国子女の人々と交流し アメリカでのホームステイなども経験し 日本人であることの自覚が芽生えたのはこの頃です
演劇部に所属しミュージカル俳優になりたいと考え 付属の大学への進学は選択せず東京の大学へ進学を考えました もう一つの関心ごとであった中薬学の道を目指すため 東洋医学を研究している薬学部への進学を決意しました
サッカーや野球など男の子たちとよく遊んでいました 習い事も大好きで色々なものに挑戦しましたが しっかりと身につくものはありませんでした
小学校ではイジメにあい そんな時に塾に通い始め、勉強の楽しさを知ります 塾の仲間たちと中学受験を目指しました
1年の浪人生活を経て北里大学薬学部に進学
大学では学園祭実行委員会総務局長 学生委員会学生委員長を務めるなど 大学の学生運営活動を活発に行っていました
他大学との交流なども盛んに行い 関東学園祭交流会などの活動も行っていました
研究室は微生物薬品製造化学に属し 遺伝子解析のバイトなども行っていました
薬剤師として調剤薬局に勤務しました 夜はドラックストアで薬剤師としてアルバイトも行いました
調剤薬局では患者さんから指名をいただくなどし 患者さんに寄り添う薬剤師を目指して勤務していました
その傍上海中医薬大学に入学し通信過程で学んでいました
調剤薬局では患者さんから指名をいただくなどし、患者さんに寄り添う薬剤師を目指して勤務していました
奨学金等を駆使し 上海中医薬大学に留学
主に曙光病院での病院実習を行いました
ほとんどの科での実習をすませたころ SARSが起こり他の日本人は帰国しましたが 私は現地に残り 非常に貴重な体験をすることができました
祖父が仕事中に交通事故に遭い下半身不随になったのを機に 中国から帰国し家業の置き薬業を継ぎ 株式会社ぷちてんぐを設立
日本の健康寿命を延ばすという理念のもと 会社運営を行うとともに 自らもお客様のお宅を廻商しています
会社を設立して約10年経ち 様々な経験を経て自分の経営に自信が持てず 大学院に入学して経営の勉強を行いました
仕事をしながら膨大な課題をこなし 週末に大学院に通うということを1年半行い 無事MBAを取得させていただきました
健康を維持するためには食が大切との考えから 食品企画製造販売の会社を立ち上げる
2018年からは同社で農業も始め 自然栽培の露地野菜や原木椎茸の栽培を始める
新型コロナウイルス感染症の政策に疑問を持ち 疑問点を調べ始めたときに参政党が結党することを知りました
同じ思いを持った仲間がいることを知り 参政党に入党、その中で政治家を志すこととなりました
新型コロナウイルス感染症の政策に疑問を持ち、疑問点を調べ始めたときに参政党が結党することを知りました
同じ思いを持った仲間がいることを知り、参政党に入党、その中で政治家を志すこととなりました
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